子猫の夢

よしこの子猫を見に行った。アーティストである彼女の広くないアパートは、ダンボールとコーヒーの麻袋で作った「にゃんぐるジム」各種でいっぱい状態、それを縫って人間は歩く。ちょっと前までは話をすればアート一筋で近隣のカフェなどで華々しく個展を開…

何もない静かなクリスマス

5週間の日本滞在から帰ると、ハリソンからのサプライズ・プレゼントが待っていた。新しいカーペットと、新しく塗られた壁と。カーペットは曇り日の入り江のような少しくすんだ青磁色で、壁は明るい目のグレイ。目になれないうちは何だかくすんでるなという…

かもになってもいいかも?

麗江について三日目、ぶらりと二人で、朝の町を歩いていると、健康美人に声をかけられた。「郊外の自然公園にご案内しますよ。景色もすばらしく、納西族の村もごらんになれます。」という。遠いの?と聞くと、ほんの十分という。公園なら入場料は、いくらな…

北京から成都までの汽車の旅

12月25日、混んでいる北京駅で、携帯用魔法瓶を買い込んで列車に乗り込む。高いほうの寝台車(安いほうは3段ベッド)の下の席に落ち着き、道中は持参のかぼちゃの種と干し棗をかじり、ひたすら、お茶を飲む。お湯だけは常備なのだった。上の段の二人は…

ペットとしてのこおろぎ

許老人宅では、生きたこおろぎには会えなかったのが、数日後タクシーの中でずぃ〜ずぃ〜と妙な鳴き声がするのでハリソンが「ひょっとして,グオグオですか?(中国語では、虫偏に国と言う字をふたつでグオグオという)」ときくと、運ちゃんは得意そうに懐か…

三度目の北京

はじめてきたのは1993年の暮れ、二度目は2003年の暮れ、そして三度目再び師走。この前の時は10年ぶりだったので、ハイウェイを走るVWの小型車とか林立する高層ビルに驚いて写真を撮ったりしたが、今回はそういうビルの14階に泊まらせてもらい、窓下の朝晩の…

にわか女優業、顛末記

1950年代にシアトルのジョン・オカダという人が、「ノーノー・ボーイ」という一篇の小説を発表した。この本は1970年代に(作者の死後すぐに)ベストセラーになり、確か日本でも晶文社で翻訳が出ていたような気がする。今は大学の教科書にもなっているのに、…

ララバイ・キャリッジその弐

昨日はハロウィーン。子供たちが仮装して、家々を回ってキャンデーをもらう日。大人も仮装パーティーをやったり、お店に入ると魔女やフランケンシュタインがレジに座っているような、楽しいお祭りの日である。ヴァーション島は、シアトル西からフェリーで10…

ララバイ・キャリッジ その壱

友人のアーティスト、ルシアの創作したパフォーマンス「ララバイ・キャリッジ」のデュヴァル公演が昨夜おこなわれた。シアトル郊外、車で40分。秋も深まって、広々した牧場に馬・牛がのんびり草を食むところどころに、目の覚めるような黄や朱の落葉樹がみえ…

水泳事始

新しいことを習ってみたいのと、心拍数を上げるような運動というのをしていない上、あんまり歩いたりしない等の理由で、水泳を習うことにした。キャシーのクラスの同級生ディエゴ君が、水泳なら得意だし僕は太極拳を習いたい、ということで、さっそくトレー…

マッチ・ポイント

ワールドカップは、ファイナルだけ、テレビで見た。ケーブルのチャンネルを買っていないので、映らないとばかりおもっていたら、メキシコチャンネルでやっていた。スペイン語はさっぱりわからないが、それだけに面白い。CMなんかも、アメリカ商品の宣伝な…

すってんころりん

一月ほど前、友人宅で5段ほどの階段を踏み外し(カーペット敷きの上、スリッパで滑った)しりもちをついた。首がカックンとなったのを感じ、しばし寝そべって衝撃をゆるめた。友人宅の猫ちゃんが、心配そうに見に来てくれた。(こういうときの犬猫の存在は本…

peri personal space

私のアレクサンダーの師である、キャシー・マデン先生が去年あたりからよく使っている言葉だが、わたしもこれは、para personal spaceだとおもっていたのが、じつはperiであったことが、きのうわかった。ぺリは、周辺のと言う意味である。私たちの周りのスペ…

道化師二人の無言劇

ベルギーからきた「オッキ・ドッキ」という二人組みピエロのパフォーマンスをみた。まず衣装がよい。昔ながらの白いピエロ服が、荒い木綿地でとくべつだぶだぶにつくられていて、かわいい。人生に疲れ果てたような、半分はげ、半分白髪のやせこけたおじさん…

餃子の功夫

北京にお帰りになる前日、秀茜さんが餃子の皮から作るのを実演してくださった。粉はオレゴン産の地粉、グルテンが多く「北京の粉よりよい」とほめられたものを使う。何もかも目分量・手分量でやるので、とにかくじっと観察しかない。粉に水を混ぜていくが、…

ジルの誕生日

ジルさんとの出会いは、故高老師を通じてである。シアトル在住中の高老師の身の回りのこと、特に病院・銀行・ヴィサ・弁護士との関係を一切引き受けてお世話していた。なくなる前の二年間は、高老師と一緒に私とハリソンと、推手を練習した。亡くなってから…

お寝町行きの電車

一回りしたの、いとこのともちゃんと、夜の長電話。でいろんな話をするうち、夢のはなしになった。ともちゃんは、夢を見ないんだそうだ。私は、昼間でも時々想像力が暴走してしまう性格を子供の時から抱えていて、親や教師からはあきらめと若干の軽蔑をこめ…

ピラミッド・ハウスとジョセフのこと

ピラミッド・ハウスを始めて訪れたのは、1990年の終わり近くのこと。この家は、ハリソンの母の家だったのである。そして、ハリソンの母スター・フライヤー(彼女のスーフィーネーム)の恋人で、最期を看取ったのが、ピラミッドの製作者、ジョセフだった…

勘違いの不思議

感じというのが、当てにならないもの、というのは、アレクサンダー・テク二ークの原則のひとつで、レッスン中にはよく遭遇する現象である。教えていても、教わっていてもしょっちゅう起こる。初心者には特に、「ショック」といっていいくらいな、感覚の誤差…

辞書の効用

アレクサンダー教師で詩人のキャロルの、70歳の誕生日に招かれた。夏時間に変わった、日曜日の午後のこと。午前中、プレゼントをつくる。10センチ四方の額に、コラージュ作品を入れて、額としても、コースターとしても使えるのにしよう。画用紙を額の中…

ヘレンさんに捧げる黄色い薔薇

きれいでしょう?2月の第三月曜日(プレジデント・デイ)に薔薇の剪定をすると、夏によく咲くのよ。と教えてくれたのは、ヘレンさんだった。去年の夏には、本当に次々によく咲いてくれたのを写真に撮っておいたのがこれ。また、この色がよく似合い、セータ…

ヘレンさんのこと

3月24日、ヘレンさんがなくなった。82歳、すい臓がんが見つかってから、3年目に。抗がん剤、放射線治療を受け、その間にもずっと太極拳を続けて、2年前には、北京にも修行に出かけるほど元気だった。武当山では、かごには絶対に載らないといってがん…

イヴの3つの顔

アレクサンダー・テクニーク的に面白かった映画。主演は、ジョアン・ウッドワード(ポール・ニューマンの奥さん)で1957年にアカデミー主演女優賞を、この映画でとっている。ATを勉強したことがあるそうだ。この作品の前か後かは、わからないが。 イブ・…

猫の奴隷

先日歯が欠けて、歯科のいすに横たわって”BAD CAT"という写真集を見ていた。よくある、かわいい写真ではなく、どっちかというと、猫の陰なる反面をうまく捉えたもので、風呂に浸かってぬれねずみならぬぬれた毛足の長い猫がかっと口を開いて「ちょっとこの生…

食欲の秋

日記というより、これでは月記になってしまいますね。自分の日記を欠かすことはないのですが、人に向けて書くという事が、なんだか,おこがましく思われる、思考サイクルにはまってしまって・・・と言い訳は、ともかく。今年は、秋の訪れが早いような気がし…

長い長い夏休み

この夏は、アトリエにいることが多かった。というか、絵を描いてることが多かった。5月からはじめた、老子の道徳経を写して、イラストをつけるという作業は9月15日で終了。之で、81章の中でも好きな章がはっきりしてきたので、今度は、読み下しなしで…

信じて飛び込めるということ

大すきな映画監督の一人、パトリス・ルコントの『橋の上の少女』(邦題がこうか知らない)を見た。ナイフを投げる芸人の男が、人生に悲観して身を投げようとしている少女を助ける。男は、的になるきれいな女を捜していたので、どうせ捨てた命だろう、的にな…

空気の妖精とキャプテン

一年ほど前から、TSIに参加して八卦掌を習っている、エアドリーさんの家に遊びに行った。隣町のエドモンド、入り江に面した昔の別荘地で、彼女の家もシアトルの旧家チッテンデンの元別荘100年間、野鴨の渡ってくる池のほとりにたっている。エアドリーは、…

私の小さなアトリエ

今は昔、12年ぐらい前に、H氏が、裏庭の樅の木の側に建ててくれた、小さなアトリエ。英語ではSTUDIOと呼ぶが、このフランス語の名前がなんとも言えなく好きだ。小さくても、窓が三方にあり、時々リスや、猫やの、通行とか裏庭の様子が見渡せる。12年の間…

今やっていることより、大事なことって?

朝、8時45分からのキャシーのクラスへ行く。今やっている、老子の道徳経・写経の作業をみてもらうことにした。何処で行をわけるか、鉛筆で印をつける。やーーん、まどろっこしいよう。それにみんなが見てると、読んでも意味が、はいってこない。するとキ…