にわか女優業、顛末記

1950年代にシアトルのジョン・オカダという人が、「ノーノー・ボーイ」という一篇の小説を発表した。この本は1970年代に(作者の死後すぐに)ベストセラーになり、確か日本でも晶文社で翻訳が出ていたような気がする。今は大学の教科書にもなっているのに、ジョン・オカダ氏の生存中はまったく日の目を見ず、彼は、ボーイング社のテクニカルライターとして47歳の生涯を終えた。内容は、シアトルの日系人の戦後の一風景である。「日本帝国は戦争に負けていない。連合軍勝利は、プロパガンダに過ぎない」と狂信する母親を持ち、そのため戦中の収容所で徴兵拒否をして、2年間刑務所暮らしをしてきた長男がシアトルに帰ってくるところから、話は始まっている。こういう青年たちは「ノーノーボーイ」とよばれて蔑まれたのだった。自分は、アメリカ人なのか、日本人なのか。アメリカ兵として戦ってきた、ほかの日系青年からは、つばを吐きかけられるほど軽蔑されるが、いまさら、日本人としての誇りを持てといわれても母親のように狂っていない以上日本が敗戦したのは明らかな事実なのである。こうして二つのアイデンティティを持つ25歳の青年が揺れ動く、ストーリー。市民運動の高まり、ベトナム戦争の終焉とともにやっと日の目を見たのは、時代の成り行きだった。生前に彼は、もう一作日系一世のことを書きかけていたのだが、未亡人の手で焼かれてしまったのだそうだ。
 
現在シアトルの映画作家、フランク・安部氏がPBS(公共テレビ)のために「ノーノーボーイを探して」というドキュメンタリー+ドラマを作っていて、助監督のキャロル・長谷川女史から友人を通じてこの母親役をやるという話が来た。
はじめは座ってるだけせりふ無しということだったので気軽に引き受けたのだが、読み合わせをしたところ、あなたの声を使いたいということになり、せりふ、プラス長文の手紙を、天皇陛下みたいに朗々と読み下すというのまでやることになってしまった。18年こっちにいてもアクセントばっちり、アールとエルが聞き取れないのが幸いしてしまったのである。
 外のシーンは、ワンダーブレッドという古い工場跡の坂道を重い足を引きずって登り、また両手にパンのいっぱい詰まった袋を下げて降りてくる。というもので、キャロルが古着屋で調達してきた50年代風ウールのワンピース(古い「伊勢丹」のレーベルが着いていた!)に10年物の猫用カーディガン黒、ロレットのコレクションから40年代製のだぶだぶコートと帽子をかぶり、午後の光を背に受けて歩いた。私の後ろには、天皇陛下が約束してくれた、輝かしい軍艦(戦勝国日本が軍艦で各国の忠誠なる移民たちを迎えに来てくれるという手紙が、当時南米発で流布していたらしい。)をひきずり、息子にもすでに信じてもらえないという心の悲しみを抱いて疲れ切っている。そういうアイデアを持つように、というのがキャシーからのアレクサンダープラス演技指導であった。10回くらいおんなじことをくりかえしやって一時間ほどで撮影終了。フランクが、「よかったねえ、歩き方。足首が微妙に震えてるとこなんか、特に。」というので、びっくり。自分では、足首の震えている感覚はゼロだったからだ。いつもキャシーに「感覚は当てにならないからTHINKINGさえしっかりしていればいいのよ。」といわれてきたのが、納得できた一瞬だった。

撮影二日目は、インターナショナル地区の1910年からある食料品店のなか。大昔のだるまストーブのほかは暖房も無い。全てが時に忘れられてしまったような店内で、いろいろな年代からあるいろいろなものが、ほこりをかぶってじっとしている。店主のアンクル・ジミーは92歳というが75ぐらいにしか見えない。ジミーの父親がこの店を始めてから、ずっとここで育ち本土からの中国人をたくさん店内に住まわせて働かせていたので戦前は、ダイニングテーブル8台、二回にはお蚕棚のように何台もベッドをしつらえてあったそうだ。日本街とは隣同士だから友人も多く、強制収用の悲劇も目の当たりにしている。ジミーはシアトルでヨーロッパ戦線に徴兵された第一号だそうだ。彼の誇りがストレートに私に伝わってきた。ドアが開いて黒人のあんちゃんが、「いつもの」というとジミーはよごれきって中身が良く見えないビンからまっくろなフィリピン産「レモンの砂糖煮」を日本の駄菓子やで使ってた袋に入れてふちをきゅっとねじってわたし、あんちゃんは10セントだまをじゃらりとジミーの手の中に入れて「さいなら」。こ、これが21世紀か。
 9時〜1時までの間に短いシーンとはいえ、これも20回くらい撮りなおしたかしら。相手の男の子もシロトの大学生なので、なかなか大変。しかし若いのでせりふもちゃんと覚えてるし、何回もやってるうちにあやふやになったりする、此方とは大違いだ。頭はかなり白くして、顔もしわを寄せたメークをして、疲れーた怖い50代の母親。最近あんまり怒らないので、「怒り」の感情を演技というのがむつかしかった。時間が無くてこっちのシーンはキャシーに見てもらえなかったのが心残りだが、来年もしこのプロジェクトが軌道に乗れば、もっと撮りたいという話なので、その時は演技指導をお願いしようと心に決める。ちなみに今回撮った分は、トレーラー(予告編)になるのだそうだ。