三度目の北京

はじめてきたのは1993年の暮れ、二度目は2003年の暮れ、そして三度目再び師走。この前の時は10年ぶりだったので、ハイウェイを走るVWの小型車とか林立する高層ビルに驚いて写真を撮ったりしたが、今回はそういうビルの14階に泊まらせてもらい、窓下の朝晩の渋滞を目にしてもごく自然の成り行きとしか思わなくなった。エレベーターに乗ると14階はFと表示されている。14はヤオス「要死=死にたい」という意味なので避けられているのだそうだ。

 ついた日は夜遅かったので隣にあるセブン・イレブンで菓子パンとカップラーメンを買ってしのいだが、昨日は近くの市場へ買出しに行く。古い目の集合住宅の広場に屋根付きで仮設されていてうす暗い屋台の裸電球の下に野菜や卵や果物がならんでいる。こういう市場は十年前とまったく同じで、安いし質もいい野菜や肉がある。晩のおかずの算段をして買い物をするとやっと足が地に付いて人間に戻った気がする。よその土地に行くと必ずこれでオックスフォードでもニューヨークでもそうだった。北京の市場はオリンピック前の日本の商店みたいでノスタルジーに浸ってしまう。
 肉やは豚や・牛や・鳥やと別れていて、いろんなパーツを台に並べて客の注文に合わせて切ってくれる。暇なうちは売りながら家族でトランプなんかしている。スープにする骨を買ったら肉より高かった。片隅に漬物屋を発見、高菜漬けと麻豆腐を買う。(麻豆腐というのは、北京の食べ物で緑豆を発酵させて作る豆汁の絞りかすなのだが、チーズみたいでおいしく先回来たときにすっかりファンになってしまった。)真っ赤な人参、いろんなきのこ、白菜や春菊や山芋等両手に買い物をぶら下げて暗い中家路を急ぐ。


本日はコンピューター用品を求めて外出、近くに住む許老人を訪問する。許さん宅は外見は古いアパートで中身は古い家具や透かし彫りの窓などで飾られていて素敵だ。こおろぎや小鳥を飼うのが趣味で、そのこおろぎ入れや鳥かごがまたアンティークなのだった。携帯用こおろぎ入れは、型にはめていろんな形に育てたひょうたんに精巧な彫りをいれ、象牙のふたをつけた手の込んだもの。清朝貴族の趣味だったのが革命後庶民も楽しめるようになったのだそうだ。みせてくれた本には、目の覚めるような美しい色合いのこおろぎがのっていてそれもピンクやブルーや紫なのでびっくり。今は絶滅しているのも多いのだそうだ。こういう宝石のようなのを大事に入れ物に入れ、手編みの袋に入れこして懐中に暖めながら同好の集いにでかけていくものらしい。写真を見ているとこおろぎが、だんだん猫並みにかわいく見えてくる。こおろぎなら飼ってもいいかなあ・・・なんて。
 許さんのもうひとつの趣味は書道である。満州人なので満州の字=満字の書道。サンスクリットを立てにしたみたいなすっきりとしたラインの文字でたとえば「寿」という漢字をとっても、実に抽象的なおもしろさがある。こうして,半分もいってることがわかったかおぼつかない私に親切に教えてくれる許さんをなくなった奥さんの引き伸ばした写真が見下ろしている。長男と二人でさびしくは無いだろうけれど夫婦仲のよさをしのばせる、そういう飾り方だった。