お寝町行きの電車

1960年代の祖父

一回りしたの、いとこのともちゃんと、夜の長電話。でいろんな話をするうち、夢のはなしになった。ともちゃんは、夢を見ないんだそうだ。私は、昼間でも時々想像力が暴走してしまう性格を子供の時から抱えていて、親や教師からはあきらめと若干の軽蔑をこめた調子で「夢見る夢子さん」とよばれていた。そのせいか、夢は必ず見る。ちょっと昼寝しても見る。私の夢は、総天然色であるので、かなり楽しい。私の映画好きも、「いつも夢を見ていたい」願望のあらわれかもしれない。最近はアンドレイ・タルコフスキーという、86年になくなったロシアの作家にはまっているのだが、かなり夢質の映像で、それはそれは、美しく深い。眠くなる映画のトップに位置しており、ながまわしで延々と続く間に、スーッと眠りに引き込まれてしまう。はっと目覚めると、夢の続きのような感じ。夢とおんなじで、「はなしは、どうだったんだっけ?」ということになる。
  ともちゃんは、夢を見たり時には覚えている私に、ちょっとびっくりしたみたいであった。「ひとつ夢のいいところは、なくなった人たちにあえることなの。」と、私。おじいちゃんやおばあちゃん、あやこおばちゃん。生きている時のまま、コタツを囲んで話したりしている。そのコタツも、部屋も、家自体もとっくに消滅しているというのに。亡くなった父も登場する。おかしいなあ、死んだはずなのに・・・とおもっているうちに目が覚める。というわけで、眠りは、タイムマシーンの様相を帯び始めてきたのよね・・・。
 そこでともちゃんから面白い話を聞いた。しばらく、おじいちゃんと同居していたともちゃんは、いつもおじいちゃん、7時になると寝るしたくを始めるのを不思議に思って、わけをたずねたところ、「ともちゃん、おじいちゃんは早くしたくしないと、お寝町行きの電車に乗り遅れるからね。」という返事。「おじいちゃん、お寝町って、どこにあるの?」と聞くと「お寝町はなあ、ドリームランドだよ。」
 ともちゃんは、いつもドリームランドにいけるなんていいなあ、とおもったそうだ。おじいちゃん(母方の祖父)は、昭和のはじめにモダンボーイで鳴らした人らしく、とってもハイカラなセンスを持っていた。鉄筋コンクリートを使った建築法を開拓した影の功労者であった。ハイカラでアメリカ好きのくせに、プラグマティズムというねじが外れていて、物質的には恵まれない生涯だった。そういう性格がいくらか隔世遺伝している、私。お寝町に行きっぱなしにならないよう、気をつけなければ・・・。