今やっていることより、大事なことって?

朝、8時45分からのキャシーのクラスへ行く。今やっている、老子の道徳経・写経の作業をみてもらうことにした。何処で行をわけるか、鉛筆で印をつける。やーーん、まどろっこしいよう。それにみんなが見てると、読んでも意味が、はいってこない。するとキャシー。太極拳をするときと、おなじなのよ。とたんに、USE(自分のつかいかた)は変わった。灯台下暗し。どうして忘れちゃうんだろうなー。鉛筆の先が、紙の方へ向かって動くのよ、ともいわれた。こういう、初歩的なことを、ほとんど無意識に普段やってる動作では、忘れちゃうんだろうなあ。今やっていることよりも、もっと大事な、やるべきことが先にあると思って、あせる気持ち。ほんとにもっと大事なことなんか、あるんだろうか。私の敬愛する、クリシュナムルティは、「食べるときは食べなさい。散歩するときは散歩しなさい。何かほかのことをしていなくてはならない。などと、いわないで。何かを読むときには、それが、推理小説だろうが、雑誌だろうが、聖書だろうがなんだろうが、完全な注意を払うようにすることだ。完全な注意は、完全な行為であり、それゆえに、「何かほかの事・・・」は、ありえない。大事なのは、貴方が、何をしているかではなく、それに完全な注意を払えるかどうかなのだ。」彼は、又、「今、は、常に存在している。もし貴方が、未来に逃避したとしても、今は、いつもここにある。」ともいっている。そういえば、私がはとの丸焼きを食べていたとき、何かほかの事、は一切考えられなかったもんね。花火もそう。
 
クラスに行くまでの車中で聞いたラジオで、ある看護兵の死を伝えていた。幼いときから、活発でゆりかごに入れてもカーシートに入れてもすりぬけてでてきてしまうので、フッディーニ(縄抜けの名人)と呼ばれていた。学校では、レスリング部で活躍し古典なども読む文学少年であった。卒業後、電気配線の仕事につく。ハイスクールの友達と結婚し、一年後男の子がうまれる。2年前に、「もっと人のためになることをしたい」とおもいたって、イラクの看護兵を志願する。はじめのうちは、母親に「サッカー・ボールやおもちゃを送ってください。こっちのこどもたちにあげたいので。」というふうに、やる気一杯だったのが、なくなるひとつき前には、「もう、おもちゃはいらない。子供たちは、アメリカ兵を怖がって近づいてこない」と伝えていた。そして爆弾テロによる、死。ラジオの声は、若い妻が、3歳の子に「お父さんは、どうしたんだっけ?」ときいている。たどたどしく、教えられたとおりに、「お父さんは、たくさんきずついたの。おとうさんは、もうかえってこないの。」
 このところ、こういった報道を、パブリックラジオで多く流すようになっている。