周りが消えて、ついでにわたしも・・・

先週の日曜日、お隣カナダのバンクーバーへ、七弦の琴をとおしてのお友達である、黄樹志、黄麗雲ご夫妻をおたずねした。黄さんは、私財を投じて、古代から伝わる琴の研究、特に絹糸をよりあげて作る弦の製作と普及に携わっている方である。本に囲まれた静かなお部屋で、明の時代から伝わる琴の音色にききほれた一日であった。H氏も、知っている曲全部を繰り返し弾かせてもらったりして、思う様楽しんでいた。私は、自分はひかないまでも、絹の弦が生み出す、おなかのそこに響くような音を楽しみ、又、メロディーだけでなく左手で糸をこすったりたたいたりして出す音の、面白さを発見して、一人満悦していた。日本でも古くから、文人たちによって愛されたのがこの琴で、中でも、江戸時代の、浦上玉堂という人は、侍を辞めて、琴士を称じたくらいで、彼の水墨画が素晴らしく、黄さんに、彼の画集(1970年刊の雑誌「古美術」)を借りてしまった。
 楽しい一日のあと、街に食事にでた。広東料理のレストラン、コンクリート打ち放し、もだーんな建物で、100人近いお客は、みな中国人である。香港返還後、腕のいい料理人のほとんどは、カナダに来たと、黄さん。まず、ここの、名物はとの丸焼きが来た。はとなので小さいその半身をくちにいれたとたん、周りのすべてが消えて、はとの丸焼きと私だけの世界になってしまった。次に皿が回ってきたときも、遠慮という事を忘れて、もうひとつにてをのばしちゃっていた。のばしちゃってから、奥さんのほうをみたら、ニコニコして、「私たちはいつでもこれるから、どうぞめしあがって。」とおっしゃるので、そのままかぶりついた。人前でものをたべて、周りが消えたのは、はじめてのことだった。周りが消えると、ついでに自分も消えていたような気がする。このあと色々出たけれども、はとの丸焼き経験は強烈であった。これに似た経験は、8月横浜の海の公園の花火であった、とおもいだす。いっちばん最後に、空中が、花火で埋め尽くされ、私は、消えてしまっていた。目も脳も花火で満たされて・・・。ああ、又消えたい、はとでも、花火でも、何でもいいから、消え続けたい、と思い続けている。