猫の奴隷

先日歯が欠けて、歯科のいすに横たわって”BAD CAT"という写真集を見ていた。よくある、かわいい写真ではなく、どっちかというと、猫の陰なる反面をうまく捉えたもので、風呂に浸かってぬれねずみならぬぬれた毛足の長い猫がかっと口を開いて「ちょっとこの生体実験、休憩にしようや。」というキャプションがついてて、ふふふ・・・と思わず笑ってしまった。この本によると、猫は、飼い主ではなく、「奴隷」を一人所有するのである。実は、私宅のタズ(本名,フォン・タッスルホーフ、略してタズ、または、タズオ、愛称たーちゃん。13歳オス、グレイのさば猫)の奴隷は、ほかでもないこの私なのである。以前猫戸が無かった時は、朝の白々明けに起こされて、引き戸を空ける役であり、それが辛さに、猫戸をつけた。おかげで8年間、安眠をむさぼることが出来た。之でこそ飼い主、嫌なことは、しないのだ。
 ある朝起きて見るとえさ入れがなめるようにきれいになっている。それどころか、えさ入れをおいてある刺し子のきれを動かし、こぼれておちたのまできれいにたべてある。うーむ、猫も12歳過ぎれば、猫又並に知恵がつき、「もったいない」なんていう人間並みの観念が起こるようになるんだろうか。たいしたもんだ。たーちゃん、おりこうさんねえ。とさんざんほめた。そんなことが、何回かあった後の、ある夜のこと、11時を回っていたが、いつものように、タズとベッドに横になっていたら、猫戸ががたがたいう。本人はココなのにおかしい!と飛び起きてキッチンに行くと、なんとアライグマが、お尻半分猫戸を通過中であった。ガラスの引き戸の外で、ぽかんとした顔でこっちを見ている。小型犬くらいの大きさ。戸をあけて、木っ端を投げつけても、走りもせず悠然として裏庭の向こう、藪の中に消えていった。あれは、猫又の知恵ではなく、ラクーンめのしわざだったのだ。
 以来、私の地位は再び主人から奴隷へと成り下がった。白々明けにおきて、寝る前にしておいた猫戸のふたをとる。ストーブの前にちんと座っている猫の為(では無いのだが)、朝はつきの悪い火をたきつける。