マッチ・ポイント

ワールドカップは、ファイナルだけ、テレビで見た。ケーブルのチャンネルを買っていないので、映らないとばかりおもっていたら、メキシコチャンネルでやっていた。スペイン語はさっぱりわからないが、それだけに面白い。CMなんかも、アメリカ商品の宣伝なのに、なんとなくはちゃめちゃで、見られる。アナウンサーも、ゴールするたびに、遠吠えのようにわめいたり、感情がこもっている。そして、このファイナルの面白かったこと、無類であった。いつか息子に、サッカーはかなり芝居がかってる、ときいたことがあったが、時間稼ぎのためのファウル・プレーというのをはじめて理解できた。ジダンくらいの選手になると、サッカーも偉いけど、役者としてもなかなかのものだ。頭突きにも意表をつかれたが、それより私の脳裏に焼きついているのは、後半で右肩を指差して「ファウルだぞ」と無言表示している、なんとも面憎い彼の表情だった。確かに、頭突きで退場なんてのは、スポーツマンシップに外れていて、不名誉なことだし無責任だよな、と私の第一印象もそういう視点で反応していた。彼が退場すると、それまで有機的な白い壁のように動いていたフランスチームの、その壁が揺らいだような感じがしたほどの存在。それが、だんだん、時間がたつにつれて、ジダンに同情してくる自分がいた。だいたい、フランスチームったって、ほとんどの人がアフリカ系みたいだし、フランスに虐げられてきたアルジェリアの長い歴史を考えると、あの頭突きが、なんらかのメッセージ?ともおもえてくる。夏目漱石の坊ちゃんのラストシーンなんかを、思い出してしまう。
 閑話休題。試合を見ていてしきりにおもったのは、ウッディ・アレンの新作「マッチ・ポイント」と言う映画のこと。CGなどとあまり縁のない彼のこの作品で二箇所、素敵な効果と思ったのは、テニスのマッチポイントでボールが、ネットの真上に急回転しながらとどまっているシーン。そして、事件の鍵となる投げられた指輪がテームズ河と公園の柵の上でやはり回転しつつとどまるシーンである。ゲームの勝敗、そして人間の一生を決めるこの一瞬、と言う考えが強く心を捉える。舞台は現代のロンドンなのに、テーマと言い役者と言い、古典的な香りのする映画でゆったり味わってみたものだが、上記のファイナルも、「マッチ・ポイント」そのもので、初めのゴールは枠に当たって内側に入り、PK戦では同じく枠に当たって外にそれてしまった。栄誉のゴールを決めた本人は退場・・・なんと言う皮肉さ。こんなに面白い、シアター=ゲームとしてのサッカーを見たのは始めてであった。アナウンサーが何を言ってるのかは、最後までちんぷんかんぷんのまま・・・。