梅雨時は、やっぱり。

カラダに負担だったんだ、と帰って来てわかった。シアトルは涼しくて湿気のないこと。横浜のデパートで、必要に迫られて購入した冷房対策の麻のジャケット、タンクトップ、スカートなどなどは、全く不要になってしまった。母がこっちに来ると、「寒い、寒い」という気持ちが良くわかった。一方、ご飯はもりもり食べられるし、よく眠れるし、時差ぼけもあるような無いような。早速、クレスト・シネマにて、『カンフー・ハッスル』はチャめちゃ面白いカンフー映画を見る。欧米の映画には無い、鼻をたらす・つばを吐く・おならをするといった、シーンが一杯あり、日本の漫画もそうだけど、人間の本質がそこにかくさずあって、いいような悪いような。みんな、そこそこ、こんなもんさ。というようなのは、アジア的なのかな。そういうアジアで、コスメがおおはやりなのも、おもしろい。『そこそこ』は、絶対隠すぞ!という決意が見られる。いれば、私も影響されまくり。美白の為には、これも、あれも、塗りまくり、お金があれば、レーザーしみ取りだってしたいぞ。という気分に、だんだんなってくる。集団的無意識というやつか・・・。
 こっちにかえってくれば、なーんにも無い。ファッション空白空間。空港を降りた所から、がらーーんと、空白の音が聞こえる。とっても気が楽なような、しかし一抹の寂しさをもかんじる。そして、窓の外は、乾いた、針葉樹の緑・・・。あの梅雨時の、息が詰まるような、色濃い緑は何処にも無い。雑草の生え方まで、ぎっしりと、密度の濃い日本のことを懐かしく思う一瞬である。